ハンカチ無しでは読めないスレ
|Posted:2011/05/01 20:55|Category : コピペの割に励まされる話|
1 :病弱名無しさん :02/09/03 09:20 ID:Dx9J0WGM (1 回発言)
病気や怪我と闘った人の話や
病気や怪我が生み出した感動するエピソードなど
涙を拭わずにはいられないような話を聞かせてください。
他人から聞いた話でもご自分の話でもどちらでも結構です。
7 :病弱名無しさん :02/09/03 16:14 ID:qMMGNRHE (1 回発言)
昔、付き合っていた彼女が精神的不安定で自傷癖や不眠症をわずらっていて、
その彼女のストレスがいつも俺に向けられた。いつしか俺もそんな彼女と一緒にいるのが
嫌になり、別れ話をきりだすことになった。彼女のことは好きだったけど
俺も若かったし、もっといろんな可能性を夢みていた。
俺が別れ話を切り出すと彼女は意外とあっけらかんとしていて「私も別れようって思ってた。」と言った。
俺はその時ちょっと安心して彼女の家を去った。帰りの電車の中でいままでの彼女といた3年間の出来事を思い出していると涙が出た。
彼女も同じ気持ちだろう、俺に気を使ってあんなに気丈に振舞っていたに違いないと思うと
ほんとに彼女に申し訳ないことをしたと思った。
今は俺も30になって結婚もしている。俺のかみさんは今はもう元気になって精神状態も安定して、
お互い幸せに暮らしている。
あの時電車を途中で降りて死のうとしていた彼女のもとに戻らなかったらどうなっていただろうとふと考えることがある。
220 :病弱名無しさん :02/12/04 23:59 ID:owqo+QD4 (1 回発言)
ちょっと泣けた夜だったんで書いてみます。
今日は結婚記念日でカミさんと外食した。
レストランはそこそこに混んでいてガヤガヤうるさかった。
特に隣の家族がうるさくって、カミさんとちょっと顔を見合わせて苦笑いをしたぐらいだった。
父親が子供にいろいろ質問しては笑い、っていうのがえんえん続いてこっちもうんざりしてた。
しかも、その父親がやたらと大きく咳き込むので実際鬱陶しかった。
しばらくすると、ウチのカミさんがその家族の父親を見て、「ちょっとあのお父さん見て」と
言うので、見つめるのも失礼なので向いの鏡越しに彼の後姿をみてみた。咳き込むたびに
ハンカチを口に当てていて、それをポケットにしまうのが見えた。ハンカチは血だらけだった。
咳き込んだあとは赤ワインを口に含んで子供たちにばれないよう大声で笑いごまかしていた。
向いに座っていた彼の奥さんは笑っていたが、今にも泣きそうな顔をしていた。
奥さんはどうやら事情を知っているみたいだった。
その父親が何らかの重い病気なのは明らかだった。
うちのカミさんはちょっともらい涙していた。
帰りに俺は無神経にも「今日はなんか暗い結婚記念日になっちゃったな。台無しだよ。」
とカミさんにいった。カミさんはちょっと沈黙を置いて、
「かっこよかったじゃんあのお父さん。ああいうお父さんになってね」
って涙声で俺に言った。俺もちょっと泣いた。
274 :病弱名無しさん :02/12/26 15:55 ID:U1vlDl+a (2 回発言)
近所に住んでいるご夫婦の話です。
その夫婦には子供が無く、そのせいか私は子供のころから可愛がってもらっていました。
おじさんは無口な土建屋の事務員、おばさんは自宅で商売をしていて雑貨から野菜など
なんでもあるミニスーパーみたいな店で、朝から晩まで年中無休で働いている人でした。
当然晩ご飯なども、おじさんが7時ころ帰ってきても食べられるのは9時過ぎというのは
しょっちゅうの事でした。洗濯ものもたまる、掃除も毎日できない、休日も一緒に過ごせない・・・
おばさんは結婚して以来、そのことを心の中で申し訳ないと感じていたそうです。
今年の秋、おばさんは長年の疲れからか体調を崩して一週間の入院をすることになりました。
コンビニがあるから大丈夫だとおじさんは言っていましたが、毎日持っていくお弁当や食事の支度さえ
できなくて迷惑ばかりかけて申し訳ないと落ち込んでいたようでした。
おばさんが入院した4日後、おじさんの会社にラジオ番組の取材がきました。
取材というかローカル番組のコーナーの1つで「会社対抗クイズ」みたいなものです。
私は前日に知っていたので翌日ラジオを持ってお見舞いに行きました。
続く
275 :病弱名無しさん :02/12/26 16:01 ID:msdodq9u (1 回発言)
ワクワク
276 :274 :02/12/26 16:12 ID:U1vlDl+a (2 回発言)
続きです
休憩室のような場所で持っていったラジオを二人で聞きました。
そのクイズ自体におじさんは登場しませんでしたが、話の流れで「自分の奥さんは○点だ」
というようになっていきました。
それぞれが「結婚後+20キロだから50点」とか「料理がヘタで40点」とか悪く言って
笑いを取る、みたいな雰囲気になっていました。
わたしは「あ、やばいかな・・」と思いはじめ、おばさんも何か気まずい顔をしていました。
ついにアナウンサーがおじさんの作業服のネームを呼びました。
「○○さんの奥さんに点数をつけるなら何点ですか」
おばさんが小さな声で「20点・・・」とつぶやいた瞬間
「98点!・・・だな。あれでなきゃワシの嫁は無理だ」
おばさんを見ると両手に顔をうずめて泣いていました。今年一番感動した出来事です。
稚拙な文章スマソ
280 :病弱名無しさん :02/12/28 01:40 ID:sv88EIoe (3 回発言)
私は母の顔がすごく嫌いでした。
なぜなら大きなやけどの跡があるからです。
よそのお母さんはあんなに綺麗なのに何で私のお母さんは・・・
とか、何でこの人が母親なんだろう
とさえ思ったことがありました。
そんなある日のこと。
その日の四時間目のこと私はあることに気づきました。
夕べ徹夜で仕上げた家庭科の課題が手元に無いのです。
どうやら家に置いてきてしまったようです。
あたふたして勉強も手につきません。
家庭科の授業は五時間目。
私は昼休みに自宅まで取りに帰る事を決心しました。
281 :280 :02/12/28 01:41 ID:sv88EIoe (3 回発言)
四時間目も終わり帰る準備をしていたところ、クラスメートが
「めぐみ~、めぐみ~、お母さん来てるよ」
と言いました。
私は、はっとしました。急いで廊下に出てみると何と母が
忘れた課題を学校まで届けに来ていたのです。
「なんで学校にきてるのよ!取りに帰ろうと思ってたのに!」
と息を立てて問い詰めると、
「でも、めぐみちゃん夕べ頑張ってやってたから・・・」
といいました。
私は、
「おばけみたいな顔して学校来ないでよ、バカ!」と言って
母から課題をひったくるように取り上げるとすたすたと
教室に入った行きました。
自分の母親があんな顔をしていることを友人達に知られて
しまったことで私は顔から火が出る想いでした。
282 :280 :02/12/28 01:42 ID:sv88EIoe (3 回発言)
その日の夕飯後のこと私は父親に呼ばれました。
昼間のことで怒られるのだろうな・・・と思いました。
すると父親は予想に反してこんな話をはじめました。
「お前がまだ生まれて数ヶ月の頃隣の家で火事があってな。
その火が燃え広がってうちの家まで火事になったことが
あったんだよ。そのときに二階で寝ていたお前を助けようと
母さんが煙に巻かれながらも火の中に飛び込んでいったときに
顔に火傷を負ってしまったんだよ。」
「今お前の顔が綺麗なのは母さんが火の中に飛び込んでいって
お前を助けたからだよ。」
私はそんなことは、はじめて聞きました。
そういえば今まで火傷の理由を母から聞いても
あやふやな答えしか返ってきたことはありませんでした。
「なんで今まで黙ってたの?」
私は涙ながらに母親に聞くと、
「めぐみちゃんが気にすると思ってずっと黙ってようと
思ってたんだけど・・・」
といいました。
私は母への感謝の気持ちと今まで自分が母親に取ってきた
態度への念とで胸が張り裂けそうになり
「お母さん~」
と言って母の膝の上でずっと泣いていました。
今では自分の母の顔のことが誇りにさえ思えるようになりました。
家族を、私を守ってくれた母のこの顔の傷のことを・・・。
以上長文失礼しました。
298 :聞いた話 :02/12/31 01:00 ID:6SUejUpe (5 回発言)
私は戦時の中、幼少時代をすごしました。
物心ついたときには母親はおらず、父は兵隊に取られ
祖父と2人田舎で暮らしていました。
家のすぐ脇には河が流れており、200mほど河を下ったところには
捕らえられた米兵を収容している建物がありました。
とある日のこと、私が芋を河で洗っていると誤って
手を放してしまいその芋を河に流してしまいました。
その芋はたまたま下流で水浴びをしていた米兵達によって
拾われました。
米兵は自分達に向かって流してくれたものだと思い
喜んで私に手を振って芋を持って帰りました。
きっとひどい扱いを受けていたのでしょう。
299 :聞いた話 :02/12/31 01:01 ID:6SUejUpe (5 回発言)
それから私は定期的に川下にいる米兵達に回りには
分からないように、野菜を河に流して渡すようになりました。
やがて戦果も悪化して日本軍が不利な状況になるにつれて
食糧事情は厳しいものとなりました。
もともと私と祖父の2人暮らしだったため食料で困ることは
ありませんでしたが、米兵達に食料を分け与えることは
出来なくなりました。
300 :聞いた話 :02/12/31 01:02 ID:6SUejUpe (5 回発言)
申し訳ない気持ちになりながらもいつも食料を流している
時間私はいつものように川岸まで行きました。
いつものように200m川下では米兵達が待っています。
近づくのは禁止されていたため当然話をすることも出来ません。
ジェスチャーで分け与える食料が無いことを伝えようと、
手を大きく振ってバツマークを作って食料が無いことを伝えます。
しかし上手く伝わらず米兵達は手を振り帰してきます。
そんな私が流す食料を楽しみにしている米兵に
何もして上げられない無力な自分に腹がたち河の水を
蹴り上げると米兵も同じように真似をします。
今度は河の中で飛び上がってみるとやはり米兵達は
私の真似をします。
何とかしてあげたい。そう思いました。
私は自分の家の畑から祖父の目を盗み少しですが
スイカやかぼちゃを取り今までと同じように河に流して
米兵に渡しました。
301 :聞いた話 :02/12/31 01:03 ID:6SUejUpe (5 回発言)
しかし数日後スイカを取っているところを祖父に見つかり
理由を聞かれました。
私は正直にこれまでのいきさつを話しました。
すると祖父はこう言いました。
「なるほど。お前は非国民だが非人間ではないな。」
そう言うとそれ以降畑から取った野菜を河に流して
米兵に渡すことを許してくれました。
302 :聞いた話 :02/12/31 01:04 ID:6SUejUpe (5 回発言)
やがて終戦を迎えたある日のこと、家の上空を数機の
戦闘機が飛来してきました。
米兵を収容していた建物があったためひどい扱いを
受けていた米兵が仕返しに空襲に来たに違いない。
祖父はそう言いました。
しかし私はそんなこと無いよ。そんなこと無いよ。
と言いました。
あの米兵たちがそんなことをするとは思えなかったのです。
やがて戦闘機からたくさんの金色や銀色の小石くらいの
大きさの物が振ってきました。
爆弾だ!
祖父は言いました。
しかし何も爆発しません。
空から振ってきたものは金銀色の紙に包まれた
チョコレートでした。
なおもチョコが降り続きました。
星のように。
体と何も関係ない話で恐縮です。
聞いたのが結構前のことなので上手く伝えられず申し訳ないです。
788 :病弱名無しさん :03/04/19 22:31 ID:p3oi1/9Z (1 回発言)
先日、専門学校時代の友人とその友人の2才になる女の子と3人で映画を見に行きました。
私は7年前から過敏性大腸にかかってしまい、外出もままならず、
友人からの遊びの誘いも「体調が悪い」といつも断ってばかりいました。
私も自分勝手に「なんでいつも誘ってくるんだろう、結婚してるんだから家族で行けばいいのに」と
早くに結婚し、子供もいる幸せな友人にちょっと嫉妬していたところもありました。
それに友人にも「付き合いが悪いな」と思われて嫌われてるだろうなと思いっていました。
映画が終わってレストランに行った時、友人が
「最近△△(子供の名前)がよくしゃべるようになってきてね、昨日お風呂に入った時に
明日○○ちゃん(私)と遊ぶんだよ~って言ったら“○○ちゃんってだぁ~れ?”って聞くから
○○ちゃんはママのお友達って言ったらパパの所に走って行って
大きい声で
“明日○○ちゃんと遊ぶんだよ~ママのお友達なんだって~”って嬉しそうにしてたよ~」
その時涙が出そうになりました。
家に帰って大泣きしました、体調が悪くて出かけるのも控えて友人からの誘いも勝手に何度も断っていたのに、
つき合いが悪い私だったのに、「○○ちゃんはママのお友達」と思っていてくれてとても嬉しかったです。
これからは体調を整えて友人ともまた出かけるようになりたいです。
病気や怪我と闘った人の話や
病気や怪我が生み出した感動するエピソードなど
涙を拭わずにはいられないような話を聞かせてください。
他人から聞いた話でもご自分の話でもどちらでも結構です。
7 :病弱名無しさん :02/09/03 16:14 ID:qMMGNRHE (1 回発言)
昔、付き合っていた彼女が精神的不安定で自傷癖や不眠症をわずらっていて、
その彼女のストレスがいつも俺に向けられた。いつしか俺もそんな彼女と一緒にいるのが
嫌になり、別れ話をきりだすことになった。彼女のことは好きだったけど
俺も若かったし、もっといろんな可能性を夢みていた。
俺が別れ話を切り出すと彼女は意外とあっけらかんとしていて「私も別れようって思ってた。」と言った。
俺はその時ちょっと安心して彼女の家を去った。帰りの電車の中でいままでの彼女といた3年間の出来事を思い出していると涙が出た。
彼女も同じ気持ちだろう、俺に気を使ってあんなに気丈に振舞っていたに違いないと思うと
ほんとに彼女に申し訳ないことをしたと思った。
今は俺も30になって結婚もしている。俺のかみさんは今はもう元気になって精神状態も安定して、
お互い幸せに暮らしている。
あの時電車を途中で降りて死のうとしていた彼女のもとに戻らなかったらどうなっていただろうとふと考えることがある。
220 :病弱名無しさん :02/12/04 23:59 ID:owqo+QD4 (1 回発言)
ちょっと泣けた夜だったんで書いてみます。
今日は結婚記念日でカミさんと外食した。
レストランはそこそこに混んでいてガヤガヤうるさかった。
特に隣の家族がうるさくって、カミさんとちょっと顔を見合わせて苦笑いをしたぐらいだった。
父親が子供にいろいろ質問しては笑い、っていうのがえんえん続いてこっちもうんざりしてた。
しかも、その父親がやたらと大きく咳き込むので実際鬱陶しかった。
しばらくすると、ウチのカミさんがその家族の父親を見て、「ちょっとあのお父さん見て」と
言うので、見つめるのも失礼なので向いの鏡越しに彼の後姿をみてみた。咳き込むたびに
ハンカチを口に当てていて、それをポケットにしまうのが見えた。ハンカチは血だらけだった。
咳き込んだあとは赤ワインを口に含んで子供たちにばれないよう大声で笑いごまかしていた。
向いに座っていた彼の奥さんは笑っていたが、今にも泣きそうな顔をしていた。
奥さんはどうやら事情を知っているみたいだった。
その父親が何らかの重い病気なのは明らかだった。
うちのカミさんはちょっともらい涙していた。
帰りに俺は無神経にも「今日はなんか暗い結婚記念日になっちゃったな。台無しだよ。」
とカミさんにいった。カミさんはちょっと沈黙を置いて、
「かっこよかったじゃんあのお父さん。ああいうお父さんになってね」
って涙声で俺に言った。俺もちょっと泣いた。
274 :病弱名無しさん :02/12/26 15:55 ID:U1vlDl+a (2 回発言)
近所に住んでいるご夫婦の話です。
その夫婦には子供が無く、そのせいか私は子供のころから可愛がってもらっていました。
おじさんは無口な土建屋の事務員、おばさんは自宅で商売をしていて雑貨から野菜など
なんでもあるミニスーパーみたいな店で、朝から晩まで年中無休で働いている人でした。
当然晩ご飯なども、おじさんが7時ころ帰ってきても食べられるのは9時過ぎというのは
しょっちゅうの事でした。洗濯ものもたまる、掃除も毎日できない、休日も一緒に過ごせない・・・
おばさんは結婚して以来、そのことを心の中で申し訳ないと感じていたそうです。
今年の秋、おばさんは長年の疲れからか体調を崩して一週間の入院をすることになりました。
コンビニがあるから大丈夫だとおじさんは言っていましたが、毎日持っていくお弁当や食事の支度さえ
できなくて迷惑ばかりかけて申し訳ないと落ち込んでいたようでした。
おばさんが入院した4日後、おじさんの会社にラジオ番組の取材がきました。
取材というかローカル番組のコーナーの1つで「会社対抗クイズ」みたいなものです。
私は前日に知っていたので翌日ラジオを持ってお見舞いに行きました。
続く
275 :病弱名無しさん :02/12/26 16:01 ID:msdodq9u (1 回発言)
ワクワク
276 :274 :02/12/26 16:12 ID:U1vlDl+a (2 回発言)
続きです
休憩室のような場所で持っていったラジオを二人で聞きました。
そのクイズ自体におじさんは登場しませんでしたが、話の流れで「自分の奥さんは○点だ」
というようになっていきました。
それぞれが「結婚後+20キロだから50点」とか「料理がヘタで40点」とか悪く言って
笑いを取る、みたいな雰囲気になっていました。
わたしは「あ、やばいかな・・」と思いはじめ、おばさんも何か気まずい顔をしていました。
ついにアナウンサーがおじさんの作業服のネームを呼びました。
「○○さんの奥さんに点数をつけるなら何点ですか」
おばさんが小さな声で「20点・・・」とつぶやいた瞬間
「98点!・・・だな。あれでなきゃワシの嫁は無理だ」
おばさんを見ると両手に顔をうずめて泣いていました。今年一番感動した出来事です。
稚拙な文章スマソ
280 :病弱名無しさん :02/12/28 01:40 ID:sv88EIoe (3 回発言)
私は母の顔がすごく嫌いでした。
なぜなら大きなやけどの跡があるからです。
よそのお母さんはあんなに綺麗なのに何で私のお母さんは・・・
とか、何でこの人が母親なんだろう
とさえ思ったことがありました。
そんなある日のこと。
その日の四時間目のこと私はあることに気づきました。
夕べ徹夜で仕上げた家庭科の課題が手元に無いのです。
どうやら家に置いてきてしまったようです。
あたふたして勉強も手につきません。
家庭科の授業は五時間目。
私は昼休みに自宅まで取りに帰る事を決心しました。
281 :280 :02/12/28 01:41 ID:sv88EIoe (3 回発言)
四時間目も終わり帰る準備をしていたところ、クラスメートが
「めぐみ~、めぐみ~、お母さん来てるよ」
と言いました。
私は、はっとしました。急いで廊下に出てみると何と母が
忘れた課題を学校まで届けに来ていたのです。
「なんで学校にきてるのよ!取りに帰ろうと思ってたのに!」
と息を立てて問い詰めると、
「でも、めぐみちゃん夕べ頑張ってやってたから・・・」
といいました。
私は、
「おばけみたいな顔して学校来ないでよ、バカ!」と言って
母から課題をひったくるように取り上げるとすたすたと
教室に入った行きました。
自分の母親があんな顔をしていることを友人達に知られて
しまったことで私は顔から火が出る想いでした。
282 :280 :02/12/28 01:42 ID:sv88EIoe (3 回発言)
その日の夕飯後のこと私は父親に呼ばれました。
昼間のことで怒られるのだろうな・・・と思いました。
すると父親は予想に反してこんな話をはじめました。
「お前がまだ生まれて数ヶ月の頃隣の家で火事があってな。
その火が燃え広がってうちの家まで火事になったことが
あったんだよ。そのときに二階で寝ていたお前を助けようと
母さんが煙に巻かれながらも火の中に飛び込んでいったときに
顔に火傷を負ってしまったんだよ。」
「今お前の顔が綺麗なのは母さんが火の中に飛び込んでいって
お前を助けたからだよ。」
私はそんなことは、はじめて聞きました。
そういえば今まで火傷の理由を母から聞いても
あやふやな答えしか返ってきたことはありませんでした。
「なんで今まで黙ってたの?」
私は涙ながらに母親に聞くと、
「めぐみちゃんが気にすると思ってずっと黙ってようと
思ってたんだけど・・・」
といいました。
私は母への感謝の気持ちと今まで自分が母親に取ってきた
態度への念とで胸が張り裂けそうになり
「お母さん~」
と言って母の膝の上でずっと泣いていました。
今では自分の母の顔のことが誇りにさえ思えるようになりました。
家族を、私を守ってくれた母のこの顔の傷のことを・・・。
以上長文失礼しました。
298 :聞いた話 :02/12/31 01:00 ID:6SUejUpe (5 回発言)
私は戦時の中、幼少時代をすごしました。
物心ついたときには母親はおらず、父は兵隊に取られ
祖父と2人田舎で暮らしていました。
家のすぐ脇には河が流れており、200mほど河を下ったところには
捕らえられた米兵を収容している建物がありました。
とある日のこと、私が芋を河で洗っていると誤って
手を放してしまいその芋を河に流してしまいました。
その芋はたまたま下流で水浴びをしていた米兵達によって
拾われました。
米兵は自分達に向かって流してくれたものだと思い
喜んで私に手を振って芋を持って帰りました。
きっとひどい扱いを受けていたのでしょう。
299 :聞いた話 :02/12/31 01:01 ID:6SUejUpe (5 回発言)
それから私は定期的に川下にいる米兵達に回りには
分からないように、野菜を河に流して渡すようになりました。
やがて戦果も悪化して日本軍が不利な状況になるにつれて
食糧事情は厳しいものとなりました。
もともと私と祖父の2人暮らしだったため食料で困ることは
ありませんでしたが、米兵達に食料を分け与えることは
出来なくなりました。
300 :聞いた話 :02/12/31 01:02 ID:6SUejUpe (5 回発言)
申し訳ない気持ちになりながらもいつも食料を流している
時間私はいつものように川岸まで行きました。
いつものように200m川下では米兵達が待っています。
近づくのは禁止されていたため当然話をすることも出来ません。
ジェスチャーで分け与える食料が無いことを伝えようと、
手を大きく振ってバツマークを作って食料が無いことを伝えます。
しかし上手く伝わらず米兵達は手を振り帰してきます。
そんな私が流す食料を楽しみにしている米兵に
何もして上げられない無力な自分に腹がたち河の水を
蹴り上げると米兵も同じように真似をします。
今度は河の中で飛び上がってみるとやはり米兵達は
私の真似をします。
何とかしてあげたい。そう思いました。
私は自分の家の畑から祖父の目を盗み少しですが
スイカやかぼちゃを取り今までと同じように河に流して
米兵に渡しました。
301 :聞いた話 :02/12/31 01:03 ID:6SUejUpe (5 回発言)
しかし数日後スイカを取っているところを祖父に見つかり
理由を聞かれました。
私は正直にこれまでのいきさつを話しました。
すると祖父はこう言いました。
「なるほど。お前は非国民だが非人間ではないな。」
そう言うとそれ以降畑から取った野菜を河に流して
米兵に渡すことを許してくれました。
302 :聞いた話 :02/12/31 01:04 ID:6SUejUpe (5 回発言)
やがて終戦を迎えたある日のこと、家の上空を数機の
戦闘機が飛来してきました。
米兵を収容していた建物があったためひどい扱いを
受けていた米兵が仕返しに空襲に来たに違いない。
祖父はそう言いました。
しかし私はそんなこと無いよ。そんなこと無いよ。
と言いました。
あの米兵たちがそんなことをするとは思えなかったのです。
やがて戦闘機からたくさんの金色や銀色の小石くらいの
大きさの物が振ってきました。
爆弾だ!
祖父は言いました。
しかし何も爆発しません。
空から振ってきたものは金銀色の紙に包まれた
チョコレートでした。
なおもチョコが降り続きました。
星のように。
体と何も関係ない話で恐縮です。
聞いたのが結構前のことなので上手く伝えられず申し訳ないです。
788 :病弱名無しさん :03/04/19 22:31 ID:p3oi1/9Z (1 回発言)
先日、専門学校時代の友人とその友人の2才になる女の子と3人で映画を見に行きました。
私は7年前から過敏性大腸にかかってしまい、外出もままならず、
友人からの遊びの誘いも「体調が悪い」といつも断ってばかりいました。
私も自分勝手に「なんでいつも誘ってくるんだろう、結婚してるんだから家族で行けばいいのに」と
早くに結婚し、子供もいる幸せな友人にちょっと嫉妬していたところもありました。
それに友人にも「付き合いが悪いな」と思われて嫌われてるだろうなと思いっていました。
映画が終わってレストランに行った時、友人が
「最近△△(子供の名前)がよくしゃべるようになってきてね、昨日お風呂に入った時に
明日○○ちゃん(私)と遊ぶんだよ~って言ったら“○○ちゃんってだぁ~れ?”って聞くから
○○ちゃんはママのお友達って言ったらパパの所に走って行って
大きい声で
“明日○○ちゃんと遊ぶんだよ~ママのお友達なんだって~”って嬉しそうにしてたよ~」
その時涙が出そうになりました。
家に帰って大泣きしました、体調が悪くて出かけるのも控えて友人からの誘いも勝手に何度も断っていたのに、
つき合いが悪い私だったのに、「○○ちゃんはママのお友達」と思っていてくれてとても嬉しかったです。
これからは体調を整えて友人ともまた出かけるようになりたいです。
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Tag : 感動