|Posted:2013/05/25 23:51|Category :
自分の話|
5月24日、金曜日の早朝
出産予定日を明日に控えた嫁さんが、
いつも以上に痛みを感じたので、
すぐに、会社にお休みをいただいて
病院へとタクシーで向かいました。
病院について、嫁が診察を受けているのを、
家族用の待合室で待っていると、
美人過ぎる女医さんが入ってきて、
「ご主人、順調にいけば今日の16時ごろには産まれます。」
と、告げられました。
実は、タクシーで病院に駆け付けたのは、
これが初めてではなく、前回も、前々回も、
真夜中にタクシーを走らせては
お医者さんの「まだですねー。今日のところは帰って様子を見ましょう」
という観立てを聞いていたので、
こんなにもあっさりとその時は来るのか?という感想でした。
その後、僕たちは、妊婦さんが
数分措きにくる陣痛に耐えながら、
子宮口が開ききるまでの時間を過ごす、
陣痛室という部屋に通されました。
6畳ぐらいの清潔な部屋にベッドと、
胎内の赤ちゃんの心拍を計測する機器がおいてあり、
リラックスできそうな音楽が流れていました。
ここでの、夫の役割はきまっているそうで、
陣痛の時に、嫁の腰をさすって痛みを紛らわせる事と
嫁の額の汗をぬぐったり、水を飲ませることを手伝いました。
嫁は横を向いて寝ているため、
当然、腰と口は、それぞれ、反対側を向き、
僕は、ベッドの半周をいったり来たりして、
腰をさすっては、水を飲ましてを繰り返していました。
そうこうして、数時間が経ちました。
順調なケースでは、
陣痛がだんだん痛く、陣痛の間隔がだんだん短く、なるそうですが、
ウチは痛みや間隔に変化がなかった事から、
入室から十時間ぐらいたった頃でしょうか?
嫁はいったん入院して病室で様子を見ることとなり、
僕は帰ることになりました。
拍子抜けしましたが深く考えても仕方ないと考えました。
嫁を病室に送り届けた時に、ドコモのiコンシェルを見てみると、
今日誕生日の有名人が一覧で書いてあり、
5月24日だと、哀川翔と、エリザべス女王と、小沢一郎で
このラインナップにウチの娘が加わる事は想像できず
嫁と一緒にちょっと笑いました。
その後、会社に寄って、簡単な仕事を済ませて、家に帰ると、
僕は、翌日の面会可能時間のちょっと前に目覚ましをあわせて
疲れて寝てしまいました。
翌5月25日(土)午前2時30分ごろ、
嫁さんから電話がありました。
「また陣痛が進んで、産まれそうなので、今から来てほしい」
ということでした。
僕はタクシーを呼んで、すぐに病院に行きました。
午前3時ぐらいに病院に着くと
嫁さんは再度、病室から、陣痛室に移動していました。その時
陣痛室には久石譲のオルゴールのCDが流れていました。
嫁さんはだいぶ、しんどそうでした。
昨日の早朝から続く陣痛で寝れてない上に、
今は、陣痛の間隔も縮まり、痛みも増していました。
午前10時に、分娩室に入りました。
その時には、もう嫁さんは、
助産師さんにかかえられるようにして
分娩台にあがっていて、
自らは、片足を少し横に動かすのも辛そうでした。
昨日の早朝から、かぞえると、
もう27時間ぐらい経っていて
嫁さんの体力も限界だったと思います。
そんな中、嫁さんは
今まで見たこともないくらい眉間に皺がよせて
頑張っていました。
見ているこちらまで、眉間に皺が寄ってしまい、
目頭が熱くなりました。
そうして、分娩室に入ってから2時間が経ち、
午前11時50分に、長女が生まれました。
嫁さんが本当に頑張りました。
http://29da.blog33.fc2.com/blog-entry-268.html第一子を授かった話
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